中国の経済発展とは何だったのか ①信用の換金
失速の道から逃れられそうもない中国経済。
今後、中国の経済発展についての検証や総括を色々な有識者が行うであろうが、
自分の考えも文章にまとめておこうと思う。
説明するにあたって、「信用」がキーワードとなるので先に触れておく。
日本人は言うまでもなく「信用」を重視する国民である。それも世界でトップクラスに信用に重きを置く性質を持つ。
一方で中国人は「信用」という概念を正確に認識することができない。
意外に思うかもしれないが、中国人は信用という言葉を頻繁に使う。初対面の人間でも「私を信用してください」などと、彼らの商品同様のディスカウント・セールスが展開されている。中国人は、何が信用を傷つけ、何が信用を育てるのかを理解することができない。口先でだませば信用は湧いて出て、傷ついた信用は言い訳を並べればすぐに回復すると思っている。
無論のこと、信用は言葉ではどうにもできない。実績と行動の積み重ねのみが信用の裏付けとなる。
中国人が信用に対してあまりにも無知であったために、中国経済は信用を使い切ってしまった。信用を使う、信用を使い切るとはどういうことか。「信用」は換金可能なものである。信用がある人はローンを組むことができるし、商談を進めることも容易である。中国人は毒食品をばら撒き、不正を大いに楽しみ、膨大な人口を背景とした潜在力をアピールしては投資家をだまし、政府自身も測定することができない謎に満ちた(GDP成長率など)各種指標を適当に捏造し続けてはマネーを集めてきた。
こうして信用を換金し続けてきた中国人は、中国製品をまったく信用できなくなった。「爆買い」という現象がなぜ起こっているのか。それは中国製品が信用を使い切ったから、海外製品を買うしかなくなったからである。爆買いは日本製品に対してだけ行われているのではない、中国より信用がある国のものならば、どこでもあり得る。爆買いという海外への消費移転は、中国製品が中国人に対する信用を使い切ったことの表れと理解するのが正しいと考えている。今後、中国製品が内需をけん引することはとても難しいだろう。中国政府や経済界はのんきにも高付加価値工業への改革を訴えているが、これは10年近く前の課題であり、今後はもうあまり意味をなさない。高付加価値製品を作れたところで(作れないがw)、中国製品を信用している人間は、中国人自身を含めて地球上のどの市場にもいなくなったので、売る先がないのである。これが信用の換金を終えたということである。
あまりに多すぎる不正と詐欺は、中国人同士でもビジネスを進めることを躊躇する要因となり、ましてや海外のビジネスマンにとって、中国とのビジネスが本質的にリスクだらけであることはもはや常識となっている。中国人が儲け話や新しいビジネスプランを持ちかけてきても、話半分程度でも聞こうというお人好しなビジネスマンは少数派になっている。どうせ詐欺話ならばはじめから関わらない方が効率的だからである。コスト面での優位性が失われるや否や、中国投資にうまみはなくなったと認識されたのである。言い方を変えると、海外の投資家は中国人に期待することがないのである。
金融は、信用の塊である。マネーが情報を基に凄まじいスピードで世界中を駆け巡る仕組みになっている現代では、情報が信用できないということは、無限に等しい投資リスクが存在することを意味する。幸いにして中国の資本市場は海外にはそれほど開かれていないから、こける時も一人でこけてくれる。株式売却の禁止という後先を考えない政策は、中国が金融センターとしてまったく不適格であることを明らかにした。金融面での信用はロクに換金する以前に破綻してしまった。中国の金融戦略のために最も大きなダメージを受けたのは香港である。自由な資本市場が確立されていた香港は、チャイナマネーと北京政府の前に衰退を余儀なくされた。上海が香港に取って代わることもなく、香港はまさに犬死にさせられたのである。
今回のところは、「信用の換金」が中国の発展の大きな部分を占めていたことを述べておく。
次回はストックのフロー化についてまとめる予定である。
今後、中国の経済発展についての検証や総括を色々な有識者が行うであろうが、
自分の考えも文章にまとめておこうと思う。
説明するにあたって、「信用」がキーワードとなるので先に触れておく。
日本人は言うまでもなく「信用」を重視する国民である。それも世界でトップクラスに信用に重きを置く性質を持つ。
一方で中国人は「信用」という概念を正確に認識することができない。
意外に思うかもしれないが、中国人は信用という言葉を頻繁に使う。初対面の人間でも「私を信用してください」などと、彼らの商品同様のディスカウント・セールスが展開されている。中国人は、何が信用を傷つけ、何が信用を育てるのかを理解することができない。口先でだませば信用は湧いて出て、傷ついた信用は言い訳を並べればすぐに回復すると思っている。
無論のこと、信用は言葉ではどうにもできない。実績と行動の積み重ねのみが信用の裏付けとなる。
中国人が信用に対してあまりにも無知であったために、中国経済は信用を使い切ってしまった。信用を使う、信用を使い切るとはどういうことか。「信用」は換金可能なものである。信用がある人はローンを組むことができるし、商談を進めることも容易である。中国人は毒食品をばら撒き、不正を大いに楽しみ、膨大な人口を背景とした潜在力をアピールしては投資家をだまし、政府自身も測定することができない謎に満ちた(GDP成長率など)各種指標を適当に捏造し続けてはマネーを集めてきた。
こうして信用を換金し続けてきた中国人は、中国製品をまったく信用できなくなった。「爆買い」という現象がなぜ起こっているのか。それは中国製品が信用を使い切ったから、海外製品を買うしかなくなったからである。爆買いは日本製品に対してだけ行われているのではない、中国より信用がある国のものならば、どこでもあり得る。爆買いという海外への消費移転は、中国製品が中国人に対する信用を使い切ったことの表れと理解するのが正しいと考えている。今後、中国製品が内需をけん引することはとても難しいだろう。中国政府や経済界はのんきにも高付加価値工業への改革を訴えているが、これは10年近く前の課題であり、今後はもうあまり意味をなさない。高付加価値製品を作れたところで(作れないがw)、中国製品を信用している人間は、中国人自身を含めて地球上のどの市場にもいなくなったので、売る先がないのである。これが信用の換金を終えたということである。
あまりに多すぎる不正と詐欺は、中国人同士でもビジネスを進めることを躊躇する要因となり、ましてや海外のビジネスマンにとって、中国とのビジネスが本質的にリスクだらけであることはもはや常識となっている。中国人が儲け話や新しいビジネスプランを持ちかけてきても、話半分程度でも聞こうというお人好しなビジネスマンは少数派になっている。どうせ詐欺話ならばはじめから関わらない方が効率的だからである。コスト面での優位性が失われるや否や、中国投資にうまみはなくなったと認識されたのである。言い方を変えると、海外の投資家は中国人に期待することがないのである。
金融は、信用の塊である。マネーが情報を基に凄まじいスピードで世界中を駆け巡る仕組みになっている現代では、情報が信用できないということは、無限に等しい投資リスクが存在することを意味する。幸いにして中国の資本市場は海外にはそれほど開かれていないから、こける時も一人でこけてくれる。株式売却の禁止という後先を考えない政策は、中国が金融センターとしてまったく不適格であることを明らかにした。金融面での信用はロクに換金する以前に破綻してしまった。中国の金融戦略のために最も大きなダメージを受けたのは香港である。自由な資本市場が確立されていた香港は、チャイナマネーと北京政府の前に衰退を余儀なくされた。上海が香港に取って代わることもなく、香港はまさに犬死にさせられたのである。
今回のところは、「信用の換金」が中国の発展の大きな部分を占めていたことを述べておく。
次回はストックのフロー化についてまとめる予定である。
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