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リスクをどう考えるか

「リスク」は非常に複雑で奥が深い問題だ。哲学的ですらある。

中国と日本はリスクへの対応が全く異なる異文化だ。
Webサイトでは、しばしばリスクに関わる内容に触れてきたが、
日本との比較も加えつつ、ちょっと整理してみよう。

まず中国人にとってのリスクとはなんだろうか。
全てのではないが、多くの中国人はリスクの存在そのものを認識できない。
「これではマズい事になるのではないか?」という考え方ができないのだ。

最も酷いレベルになると、走行中の過積載トラックの上で昼寝をする労働者がいる。
恐らくこの昼寝は1%程度の転落リスク(場合によっては死亡)を伴っているが、
彼らは気にせず不安定な場所で昼寝をしている。
単に何も考えていないだけなのだが、1%の大事故、死亡リスクを負ってまで、
なぜ昼寝をするというメリットを狙うのだろうか?

ビジネスではトラブル、クレームの可能性があると分かっていても事前に対応しない。
そして、トラブルやクレームが必然的に顕在化すると「なんて付いてないんだ」と解釈する。
いちいち例を挙げていっても切りが無いが、マイナスの可能性を想定しないという
基本的な性質があると思ってもらえればよい。
ちょっと出典を忘れてしまった(今、調べられる環境にいない)が、
元々中国の古典でも「悪い事を事前に考えるな、起きてから考えればよい」
という意味の「教え」があるので、これははるか古代からの性質なのだろうと想像している。

事前に備える事をしないので、中国社会はトラブルの数が異常に多い。
ギャンブルのようなビジネスも多く、ほとんどの会社が短期で消えている。
中国社会は、体感的には日本社会の30-50倍くらいのトラブルがあると思う。
車1台当たりの事故率もちょうどそのくらいなので、そんなものだろう。
言い換えれば、これが自然本来の姿で、日本人は事前の備えにリソースを使う事で、
その数を30分の1以下にまで押さえ込んでいるという事だろう。

しかし、実は彼らが警戒するリスクもある。それは、「騙される」リスクである。
以前にも述べたように、中国社会では詐欺が生活と密着している。
そのため、さすがに中国人も慣れているのか、ビジネスや取引、買い物の度に
「騙されているのではないか」というリスクを非常に恐れ、疑いながら交渉をしている。

さて、ここまでで中国のリスク管理はダメだという印象を持ったことだろう。
うん。確かにダメだ。しかし、この先の局面で中国人は突如動き始める。
問題が起きると、人間や労力のリソースをかき集め、問題点にドサドサと投入する。
中国人得意の物量作戦、人海戦術でリカバリーと図るのである。
効率は非常に悪いが、物量の力は強力で、大抵の問題は片付いてしまう。
この能力に関しては、中国人は日本人よりも優れている。
合意ではなく命令によって動く権威主義的な文化の成せる業だ。
(私はそういうやり方が大嫌いなわけだが、有効である事は認識している)

上は良い中国人、使える中国人の場合だ。
それ以外に、もう一つの動き方もある。それは「責任転嫁」だ。
問題が降りかかってきたら、猛烈な勢いで周りに責任を押し付ける。
何としても自分だけは助かろうというサバイバル意識。
我々から見れば見苦しいだけだが、ある種のリスク対応と言えるだろう。
毒ギョーザを日本のせいにしようとした例が分かりやすいだろう。


では、日本人はリスクをどう考えているのだろうか。
・多くの日本人は大局的なリスクには関心が無い。
・個人的なリスクには非常に敏感。
・リスクはコントロールする物ではなく避ける物である。
この三つの感覚が大前提にあるように思う。

最初は、組織内や社会では「実際のリスク評価」をせず、リスク管理をしたという
ポーズを取る事に非常に熱心であるという性質だ。個人の時とは大きく異なる。
「必要な書類は揃っていたんです」とか、「上司の許可は取ったんです」とか、
「××大学の出身だったんです」とか、「大企業の正社員さんだったんです」とか、
そういう形で他の権威に判断を丸投げしている人が多い。
彼らは嘘は言っていない。プロセスは守っているし、報告もしている。
しかし、自分の目と頭で判断しよう、決断しようという意思は見られない。

本人がそれでよいと思っているなら、それは本人の自由だ。
私はそんな人を雇用しない。一緒に仕事もしない。それは私の自由だ。
人間は誰でも間違う。この世界の最も賢い人でも未来予知はできない。
だからといって、自分の思考や判断を放棄してどうするのか。
自分なりに疑問を持ち、判断材料を集め、自分で考え、そして失敗するなら、
それを糧として成長する事ができる。それをしない人間は成長しない。
いずれ10万円のPC1台に置き換えられるまで、ジッと座っていれば良い。

後の二つはセットの方が説明しやすいので一緒に行く。
日本人は個人的なリスクには非常に敏感である。
わずかでもリスクがありそうだったら、それを避けようとする。
基本的にノーリスクを志向し、リターンの大小は二の次と見ている。
中国人との大きな違いは、リスクの存在を認識している点である。
そして、そのリスクを事前に避けようともしている点だ。
リスクへのチャレンジがあまり見られないのも異なっている。
ここまでは実際的なリスクの話。
最初にリスクは哲学的ですらあるといったのがここからの話。

最初に中国で起業しようとした時、そして日本での事業展開を始めている今、
中国人と日本人の反応は、面白いほど綺麗に分かれる。
中国人は「きっと上手くいくから、がんばれ。」
日本人は「リスク、ハードルがあるから、止めておけ。」
言い方は色々だが、国別の意味は上の二つに綺麗に分類されているのだ。
さて、せっかくのアドバイスだが、私はどちらも聞く耳を持たないww

中国人はそもそもリスクの存在を認識できないので、単なるエールにしかならない。
それは意見やアドバイスとは言えない。
「ありがとう、がんばるよ」という上辺だけのやり取りにしかならない。
日本人の言い方には、聞く必要は無いが非常に興味深い点がある。
「リスク回避型」であり、「リスク対応型」では決してない。
リスクが「ある」から止めろ?「大きい」や「利益に見合わない」ではなく、「ある」から??
リスクが「無い」ビジネスなんて物が、この世界に存在するのか?
別に独立に限らず、雇用される立場でも、それは変わらないのだが?

仮に今ノーリスク、ノーハードルのビジネスを見つけたとしよう。
私から見ると、そのビジネスは非常に「リスキー」である。
何も禅問答をしようというのではない。
ノーリスク、ノーハードルのビジネスは誰もが参入したがるビジネスだ。
つまり、近い将来、そのビジネスは多くの参入者との苛烈な競争に晒される宿命にある。
それはリスキーではないか?それを見越した競争での勝算があるなら挑んでも良いが、
ノーリスク、ノーハードル「だから」参入するなら、必ず敗北するだろう。

「リスクを避ける」事、それ自体がしばしばリスクである。
「将来の失職のリスクを避けるため、大企業と公務員だけを狙う」という人がいる。
その結果、多くの競争者に破れ、後で中小企業を回っても、
すでに他の人が採用されてしまっていた、というケースがあると聞く。
なるほど、その人は「リスクを避けるというリスク」を犯したのだと分かる。
別にそういう戦略を取る事自体は全然問題無いのだが、
本人は自分がリスクを犯している事を果たして自覚していたのだろうか?
自覚が無かったのなら、そこは問題である。今後の糧として欲しい。

安定志向の人がしばしば言う「リスクを避け現状維持で良い」。これもリスクだ。
これは非常に有名な話で、それこそ童話の不思議の国のアリスから、
ディズニーなどの偉大な経営者たちまでが様々な言い方で指摘している。
「その場に留まるためには走り(変わり)続ける必要がある」という事だ。
「現状維持」を「中間点くらい」と認識している人はいないだろうか?
それは間違っている。現状維持は「底辺」の意味である。
考えてみればすぐに分かるのだが、「先に行きたい、上に行きたい」
という人、「このままでいい」という人はたくさんいるが、
「もうちょっと下に行きたい」という人はいない。まずいない。
という事は、「このままでいい」より下の人間は存在しないのである。
明らかに底辺である。「現状維持」を図りたいなら、
全力で走る必要は無いにせよ、「そこそこのペース」で走る必要はある。
「ドンドン先に行きたい」という人はトップランナー、
「そこそこがんばりたい」という人は中間、
「このままでいい」という人が底辺である。


とは言え、自分を成長させ、変化させる事にも当然リスクはあるわけで、
結局、リスクは「避ける」物ではなく、「コントロール」する物だと分かるだろう。
当たると一発で終わる大きなリスクや取る事で何も得られない無駄なリスクを避け、
細かく段階を踏んだチャレンジというリスクを沢山取る事が大切だ。

「社運を賭けたプロジェクト」という大きなリスクは、経営者の怠慢である。
何だってそんな大きなリスクを取る羽目に陥ってしまったのか?
(社員の士気を上げるために大げさな言い方をしているだけなら可)
「社運など賭けずとも成長できるプロジェクト」を考えるのが経営者の仕事だ。
私が目指す完成形は、「予想が当たっても外れても上手くいくプロジェクト」だ。
予想(未来)を当てるという究極のリスクをコントロール化に置く方法は二つ。
・本当に予想を当てること。
 俺は占い師じゃない。未来予知が誰にもできない事は分かっている。
・予想が外れても別のメリットが自動的に生まれる計画を立てること。
 どっちに転んでも意味が生まれるようにすればいい。これなら人間にも可能だ。

とは言っても、1000年に一度の大地震の影響などという変数は、
当然ながら全くシナリオに含まれていないのだが(苦笑)。

ここまでの一連の考え方のバックには、更に抽象的で統一的なリスク観があり、
いわばここまでは前置き(ホップ、ステップまで)的な話なのだが、
頭の中では一瞬の思考でも、言葉で書くと予想よりも遥かに長くなってしまった。
ここから将来想定される大リスク(地震の影響、中国バブル崩壊など)の話をすると、
延々と続くのは目に見えているので止めた。
ジャンプからステップ、ホップで書こうかとも思ったが、
たぶん意味が伝わらないだろうと思って、具体的な方から抽象的な方へと書いていった。
とりあえず、ここまでにしとこか。


      

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テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

tag : チャイナリスク 中国ビジネス

地震、津波、原発、電力不足

久々に更新する時間ができた。羽田空港からブログを書いてみる。
記憶に頼りながら書いているので、時系列等に少し混乱があるかもしれない。

東北関東大震災・・・少なくとも第二次大戦以来、日本最大の危機であろう。
直下型ではなかったためか、多くの建物は大地震によく耐えてくれた。
しかし、地震への備えをあざ笑うかのように、津波が全てを粉砕してしまった。
そして、津波は原発にも襲い掛かり依然として状況は楽観を許さない。

地震発生当時は都内にいたので、多くの人と同じく帰宅困難者として一晩を過ごした。
都が開放してくれた施設で何年ぶりかのテレビ放送を見ながら、心底、恐怖を感じた。
津波が車を押し流し、石油コンビナートは爆発し、夜は陸自のヘリが気仙沼市を飲み込む大火災を映す。
911テロの時にも眠れぬ夜を過ごしたが、今回はそれを上回る恐ろしい光景を見せ付けられた。

ダメ押しとばかりに原発のトラブル。
パニック映画よりも酷いシナリオ、何でここまでやられないといけないんだというのが、最初の印象だった。
まあ、ここまでは自然災害である以上、人間がどうこう不満を言っても仕方が無い。
しかし、原発事故への東電、政府の対応はあまりにも酷く、不安は更に募った。
緊急時の広報という極めて重要な局面で、記者会見に東電がよこしてきたのはどうみても愚鈍な無能。
この瞬間、東電はヤバい会社と見え、こいつらに任せておいてはマズい、と感じた。

一号機の爆発に緊張したが、原子炉の格納容器は「運良く」水素爆発に耐えてくれた。
テレビに出ている専門家が「爆破弁」などと笑止なコメントを述べたため、
状況は楽観できないと判断し避難の準備を整えた。
続いて三号機は更に大きな爆発を引き起こし、怪我人が出たという情報も入る。
専門家とやらは、「コントロールはできている」などとほざいていたが、
怪我人が出ているという事は、イレギュラーである事をはっきり示している。
そこで、その日のうちに西日本へと自主的に避難した。

関東の友人らにも連絡を取ったが、同様に避難を図っている人は少数派で、
多くが留まるつもりでいることに驚かされた。
それから約2週間、遅々として進まない冷却作業からも状況は長期戦へと突入しつつあるように見え、
どうやら水蒸気爆発の可能性は低そうなので、また関東に戻ってきた。

気になった点はたくさんあるが、ここでは一つだけ挙げておこう。
今回、「チェルノブイリのような事にはならない。」という発言を非常によく耳にした。
実はこれは最も気になった発言だった。巧妙な情報操作なのではないか?
「チェルノブイリのような」とは、具体的にどういうことなのだろうか?
原子炉の設計が異なるので、同じプロセス、現象の事故にならないのは、そうだろう。

しかし、事故の長期化、核燃料の多さはチェルノブイリよりもずっと深刻であるし、
大爆発のシナリオが無くても、長期に渡ってダラダラと放射性物質を垂れ流す福島第一原発は、
土壌汚染、水質汚染の度合いではチェルノブイリより深刻な結果になる事もあり得るのではないか?
「チェルノブイリのような」は、水蒸気爆発を伴う原発事故のことなのか、
それとも、どのような形であれ、広範囲を放射能汚染する事故を指しているのだろうか。
専門家の言うチェルノブイリは前者であり、我々一般人が聞きたいのは後者ではないだろうか。

「チェルノブイリのようなとは、そのような意味で申し上げたのではない」という
民主党が得意とする逃げ口上を、今度は専門家達が言い出しはしないだろうか。
「チェルノブイリのような」という表現が、全く定義されないままにイメージだけが操作されている。
記者もプロなのだから、それくらいは突っ込まないとダメなのだが、日本のマスコミに期待するのは無理がある。

今回、被災者の支援で最もがんばっているのは自衛隊である。
被災地至近の松島基地が津波で破壊されたにも関わらず、本当によくがんばってくれている。
各地の消防も原発への放水活動などで、危険な任務にあたってくれ非常にありがたい。
次いで「USA!USA!」の皆さん。横須賀から空母を含む艦隊を派遣し、心強い援軍となってくれている。
報道では、以前、横須賀に行った時に見たイージス艦「マッキャンベル」などの参加も伝えられていた。
自分で見た事のある船の活躍を聞くと、何やら感慨深い。
台湾はずば抜けて多額の支援金を提供してくれており、その心遣いがとても嬉しい。
少し遅れて中国も支援の規模を拡大しつつあるが、軍を送るのは止めて欲しい。
私が被災者だったら、中国軍を見ても救出に来てくれたとは認識しない。
誤解から深刻なトラブルが起こる可能性もあるので、物資や資金の支援に留めて欲しい。

私事ながら、今回の地震で日本での事業展開は深刻な影響を受け、大幅な計画の見直しが必要になった。
特にこれからの停電は、あらゆるビジネスにとって深刻な障害となるだろう。
いっそのこと、東北の産品を遠隔地で売るようなビジネスをやってみるのもいいかもしれないと思う。
やはりビジネスとは、社会にとってプラスになる活動を通じて利益を得るのが王道だからだ。

一つお願いしたいのは、「不謹慎」という理由で他人の活動を阻害しないで欲しいという事だ。
全員で暗くうつむいていては、本当に国や社会がダメになってしまう。
気分が乗らなければあえて騒がなくてもいいが、騒ぐ元気がある人を萎縮させるのは止めて欲しい。



             

テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

中国写真館0083 自然と中国人

中国各地で進む環境破壊。
中国人にとっては、環境破壊などどうという事も無いのかもしれないが、
生態系を犯される動物達は非常に気の毒だ。

海があわわわ・・・
川が海に流れ込む地点で撮影。
・・・この泡は何だよ!しかも行く手には漁船群が見えている。


黄河はゴミ捨て場??
写真が小さくてよく見えないかもしれないが、崖の上の団地から流れ落ちるゴミの山。
しかもこの谷は、このまま黄河に続いている。「黄河は中華文明の母」じゃなかったか?

中国の田舎では、家の裏がゴミの滝になっているのはごく一般的な風景だ。
ゴミ汚染はむしろ田舎の方が酷い気がする。
彼らは家の周りがゴミだらけになる事を全く気にしない。

腐海に住む人々
ゴミどころか家の前を流れる川を腐海にしている所もある。
・・・こういう汚染って自分が困らないか?


愚民、山を動かす
新たな道路を通すために山の生態系を文字通り根こそぎにした地域。
写真だと小さな崖くらいに見えているかもしれないが、実際は数百メートルの高さの山だ。
上に見える白い線が、実はガードレールだと言えばどれくらいの規模か分かるだろうか。
しかもこの地域では、ざっと20km近くにわたって、このような風景が続く。


中国人の自然観も多くの国とは異なっている。
多くの国の人にとって、自然とは「人の手が入らない汚染されていない環境」を意味する。
しかし、中国人にとっては、単に「あるがまま」を意味しているように思える。
自然が美しい渓谷や湖。中国人もそれを「美しい」と感じる。
しかし、「うーん、ここは自然がきれいだ」と言いながら、
その渓谷や湖にペットボトルやカップ麺を投げ捨てる中国人は珍しくない。(マジで)
中国の景勝地は、大体ポイ捨てのゴミで汚染されている。
にもかかわらず、それにショックを受ける中国人はいない。気にせず楽しんでいる。

ましてや郊外、田舎、地方では、自分の家の半径5m以内に腐海を作り、
家の裏をゴミの山やゴミの滝にすることすら気にしない人がいる。
これは単なるマナーの悪さやエゴイズムでは説明できないのではないだろうか?
中国人にとっては、ゴミだらけでも自然は自然なのである。
自然には、「自然な振る舞い」という言葉で表されるように、「あるがまま」の意味もある。
どうやら中国人にとっては、ゴミも自然の一部と認識されているようである。

他国の景勝地が中国人観光客を呼ぶ場合、ゴミ汚染の問題が必然的に引き起こされる
事を事前に知るべきである。
そうすれば、各景勝地がどうするべきかは自ずとわかるはずだ。

テーマ : 中国
ジャンル : 海外情報

中国写真館 No.082 ガラクタのみなさん

中国写真館もBlogへ移行します。(あれ、もしかして全コーナーBlogでよくね?)
今回は中国名物のガラクタキャラです。

ごみパンダ
まずは低予算丸出しのパンダ。
ショボい竹林にショボいパンダがよく映えます。
世の中には、やらない方がマシな努力があるという事を身をもって教えてくれています。



美羊羊(メイヤンヤン)
鳩山前首相を思い起こさせるまなざしの版権キャラ。
一応紹介しておくと、無数に作られている中国アニメでたぶん唯一成功したのが、
この「喜羊羊と灰太狼」。トムとジェリーが羊と狼に変わったような内容と思いねえ。


ごみピカチュウ
ピカチュウ、変わり果てた姿になって・・・。
こんなのでも中国の子供はけっこう喜んで乗ってる。
管理人の世代だと、「ロッチ」のビックリマンシールでも捨てずに持ってた感じかなあ。
やっぱり目を表現するのが苦手らしく、まるで鳩y(以下略)


ショウタイフメイ
コレにいたっては、もう何がなんだか。
小学生でももう少しマシなもん作るよ。いやマジで。
中国でコンテンツ産業は無理だな・・・。

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ジャンル : 海外情報

ザ・チャイナリスク

webサイトをリニューアルしていこうと思うのだが、一度にやるのは大変なので、
まずは「中国的日常」コーナーをBlog化してみる。
Blogは初めてなので、こういう使い方でいいのかどうか。
・・・何か年寄りみたいだなw

Blog版の第一弾のテーマは「チャイナリスク」だ。
チャイナリスクは政治、経済、環境、人権など、あらゆる局面で現れているが、
今回は「ビジネス」のリスクに限定してみる。
チャイナリスク」は様々な点で現れてくるが、
まとめて見るといくつかの面に集約できると思う。
ところで、リスクがあるからダメというのはイコールではない。
そのリスクが利益に見合わない時にダメになるのだから、
リスクはできるだけ制御するよう努力すべきだ。

1.政治の強さ
独裁国家である中国。いまや政府の影響力は市場の影響力を超えたと言えるだろう。
法律が変わるという重要な通知が、実行のわずか1ヶ月前に発表される事もある。
「来月から、最低賃金を1割引き上げます」とか、
「CO2削減目標が達成できないので、工場地帯への送電をストップします」とか、
多くのビジネス活動に深刻な支障をきたすような政策が平然と採られる事がある。
  
これはほとんど対策らしい対策が取れない。
政府の政策も場当たり的なので、事前に予測するという事が難しいのだ。
大企業なら政府とのコネを生かしてという方法もあるかもしれない。


2.嘘と詐欺の多さ
以前から繰り返し述べているように、中国には「事実」という概念が無い。
つまり、嘘と真実が区別されない社会であるため、あらゆる情報はあてにならない。  
「中国人は嘘つきである」と述べるのは簡単だが、それは正確な認識ではない。
「嘘」を見抜くのは難しい事ではないが、「嘘と真実の区別がない」ケースでは、
「デタラメ情報」であることはわかっても、実際の状況がどうなのかは見えてこない。
はっきり言って、「嘘つき」の方が遥かに相手にしやすいのである。
中国社会では、ビジネスは常に不確定情報に振り回される事になる。
  
また、中国人は詐欺が利益につながらない場合でも、
とりあえず「詐欺る」「騙す」という行動パターンをもっている。
この行動パターンが社会の「慣習」なのか、「個人的嗜好」なのかは分からないが、
驚くべき事に「悪意がない詐欺」が広範に存在する事は、すでに分かっている。
重要な事なのでもう一度言うが、「悪意」が無く「利益」も無いのに騙すのである。
日本人が理由も無く天気の話をするように、中国人には理由も無く人を騙す習慣がある。
道が分からなくても、親切に「でたらめな」道案内をする習慣がある国もあるそうだが、
(中国人は道案内をしないが)それと同じような感覚なのだろう。

無論、利益や悪意に釣られての詐欺も、全てのビジネスで日常的に行われている。
詐欺にあった事が無い人間は、生後数時間の赤子を除けば、
中国国内に1人たりとも存在しないだろう。
特に都市部では、少なくとも週に2,3回は大なり小なり詐欺に遭うものであり、
(虚偽表示、量や質のごまかし、ぼったくり、偽札は最も頻繁に遭遇する詐欺である)
中国人にとって、詐欺とは日常生活から切っても切り離せない身近な慣習である。
  
「できないことをできる」「分からない事を分かった」と言う事は非常に多い。
これは一応の対策を取る事ができる。
「具体的にどうやるのか」「何がどう分かったのか」をきちんと確認する事である。
「分かったか?」「はい、分かりました。」 
「進んでいるか?」「はい、進んでいます。」  これは最低のやり取りだ。
「何がどう分かったのか、自分の言葉で言ってみろ」、
「何がどこまで進んでいるのか、進捗状況を見せろ」
と、しつこく確認を取る事が必要だ。

様々な不確定情報や嘘を見抜くには、勘と経験と健全な猜疑心が必要だ。
そして、おかしいと思った事は何でも自分で確認を取るようにした方がいいだろう。
それでも回避しきれる物ではないが、やらないよりはだいぶマシである。


3.どんなルールも存在しない
中国ではどんなルール、法律、契約も、その意味を為さない。
約束や契約に「絶対的な拘束」の意味はなく、「その時の気分」という意味だ。
時々「中国人の言う事はあてにならないので、必ず文書で残せ」という人がいるが、
文書にしたところで、それが後日守られるわけではないから、別に意味は無い。
品質を維持するためのプロセスを作っても、そのプロセスが守られない。

では、どうすれば契約を履行させられるのだろうか。
どうすれば約束を守らせる事ができるのだろうか。
約束が守られた後でご褒美を与える程度のことはできるが、確実な方法は無い。
中国人が絡むビジネスには常に不確定要素が残る。必ずリスクがあるのだ。
約束を守る人はたまにいるので、そういう人を集めて率をよくするしかない。
  
要するに、中国では「こうすれば大丈夫」という物が存在しないのである。
最後の一瞬、引渡しが終わり、支払いが終わる瞬間まで一寸先は闇だ。
だが無限に押し寄せてくるかのように見えるリスクも、
大きく分ければ上の3つのどれかである。
せめてコントロールできる限りは、コントロールして挑むしかないだろう。
そのリスクが利益に見合わないと判断されれば、
その時は中国撤退を決断するのも勇気だと言えるだろう。



テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

tag : チャイナリスク 中国ビジネス

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