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本気を出したアメリカ帝国の中国包囲網

正直、ホッとしている。対中抑止は、どうやら間に合ったという印象だ。
アフガン戦争、イラク戦争などでアジアを離れていたアメリカの視点が戻ってきた。
今やアメリカの対中戦略は大きく変更された事は確実と言える。

アメリカ内部の情勢はあまり追いかけていないので、詳しい経緯は把握していないのだが簡単にまとめてみよう。
・ブッシュ政権(-2009.01)はイデオロギー的には反中にも関わらず、任期後半での対中戦略は対話を重視したWinWin(米中共に得をする事)の関係を目指す。中国に好意的だったというよりは経済を重視した戦略的関係だったと言える。「責任ある大国(ステークホルダー)」としての役割を負わせようという方針で、中国にかなり期待していたと言える。

・オバマ政権は中国に対して、より楽観的であった。ブッシュ政権の政策を引き継ぎ対話戦略を継続する。G2、米中2極時代という言説まで登場する。しかし、アメリカ(だけではないだろうが)の産業界は中国市場が閉鎖的である事にストレスを感じてきた。対話を通じて経済的進出や緩やかな変革を図るはずであったが、独裁国家の中国には通じず中国がアンフェアな国であると感じる。米議会も対話戦略の継続には疑問を持ち、産業界の後押し、一向に改善されない人権状況にも不信感を募らせる。ここまでが2010年までの展開と考えていいだろう。それでも親中のオバマ政権は議会の文句を抑え込んできた。

・私には、この辺の細かい時系列や意思決定の背景が良く分かっていないのだが、結果的にG2構想は2011年には完全に放棄された。元々アメリカの基本戦略は「No.2叩き」なのだからG2は行きすぎた政策であり、アメリカは本来の戦略的思考である「リアリズム」に回帰してきたようだ。中国側と何度対話を繰り返しても問題は解決せず、調整でごまかされるだけであった事、中国が元安政策を頑なに維持してきた事、アメリカの要人に対してすら示される外交上の傲慢な態度、南シナ海の紛争で東南アジア諸国が中国を抑える必要を感じた事、更にはアメリカ国内の反発が大きくなりすぎたためか。多くの要因が重なり、はっきりした理由は私には不明だが、アメリカは対中包囲網を構築する事を決定した。

・最も大きな動きはTPPである。日本では産業上の損得で論じられる事が多いが、自分はこれを「アメリカ帝国の再定義」と理解している。言い方を変えれば、TPPに入った国はアメリカから経済的な支配下(どの程度かは各国の状況による。影響下-支配下の間のどこかに位置付けられると考えて欲しい)に置かれる代わりに、中国の威圧的な支配を避けられるというシステムだ。中国の支配を恐れるベトナム(市場経済国でないにも関わらず)が張り切っているのは、この文脈で容易に理解できるだろう。最終的にどの程度の国が参加するのかはまだ分からないが、この経済協定は経済よりも外交や戦略で考えた方がよほど理解しやすい。

日本の場合、経済的なメリットがあるわけではない(個々の企業では利益になる事もある)が、従来型の日米同盟に頼る安全保障戦略を継続するのであれば一応は入っておくべきだろう(一生懸命まじめにやる必要はない)。米中間に立つバランサーとしてやっていくならば入らなくてもいいが、今の日本に(「民主党に」ではない)そんな外交力は絶対に無いと断言する。何であれ、まだアメリカには覇権を維持するためにダイナミックな戦略転換を行える活力とリソースがあるらしい事はTPPなどを通じて確認できた。アメリカの覇権終了を語るには早すぎると思う。

TPP以外ではゲーツ国防長官が、「東南アジア、インド洋でアメリカ軍のプレゼンスを強化する」と発言し、実際の動きとしてシンガポールにアメリカ軍のフリーダム級LCSの配備を発表した。また、オーストラリアに海兵隊2500名を配備することも決まり、中国はアメリカの急な動きに焦りを強めている。

・以下、まとめと注意点
アメリカと中国の関係を「新冷戦」と捉える向きもあるがそれは違う。まだまだ双方がブロック化して軍事力で脅し合うという形ではない。挑戦者である中国は、アメリカに代わる秩序を提唱しているわけではないからライバルにはなれない。ただ現状のパワーバランスに不満があり、急速に蓄えられた力を劣等感から行使したいだけに過ぎない。また、アメリカは中国を「アメリカシステム(アメリカ主導の資本主義、自由主義秩序)」に取り込み大人しくさせたいのであって、中国の繁栄を潰したいわけではない。中国が発展するためには、まだまだ膨大な量の天然資源が必要である。南シナ海、東シナ海、アフリカなどで活発な進出を試みているのは、それが大きな理由である。中国はそうやって資源を奪おうとするのではなく市場で買うべきであった。中国の威圧的で稚拙な外交は、他国への警戒心を抱かせるのに十分だった。すでに中国のソフトな覇権戦略は失敗してしまったと言ってよいだろう。後は黙って大人しく既存の秩序に従い時期を待つか、それともやけくその軍事力行使によって覇権国家への妄想を追うかという選択に過ぎない。

2008年までの経済発展による台頭に続き、政府主導による権威主義的な台頭もそろそろ先が見えてきたようだ。以前、中国の発展は単なる経済発展ではなく、政治力による発展が始まると書いたが、それは過大評価であった。今後数年間は空母の配備が進んだりと中国台頭の話題が続くだろうが、それはすでに残り火のようなものにすぎないだろう。次の指導者は胡錦濤政権よりも物分かりが悪い連中と思われ、過激な行動に出る事もあるだろうが恐れる必要はない。すでに中国の限界は見えたと思う。思っていたよりも脆弱だった。中国がこの程度のやり方しかできないのであれば、台湾を取ったり、沖縄に侵略してくるのは全然無理だろう。

  
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テーマ : 中国
ジャンル : 海外情報

tag : 中国の戦略 米中冷戦 チャイナリスク 中国封じ込め 中国包囲網

常識はしばしば間違っている。

各テーマで一回ずつ書くほどの内容でもないが言っておきたい事を取りとめもなく書いてみる。
世間では常識とされていること、あるいは常識だと思っている人がいる事例を考え直してみよう。

・経済的格差が広がるのはおかしい。
これは説明の前に論点をはっきりさせる必要がある。
「格差があること、広がる事に反対である」というのは信条の問題なのでここでは問わない。
ここで問題にするのは、「格差が広がる事は不自然で何かがおかしいからだ」という考え方についてだ。

格差は、ある特定の条件がある場合を除くすべての状況で自然に生じる現象である。その特定の条件とは「変化が一切起きない社会、環境」だ。逆に言えば、変化が起こる社会、環境では必ず格差は生じるという事だ。「好況」でも「不況」でも関係が無い。どちらも単なる「変化」である。変化はすべて危機であると同時にチャンスでもある。どちらの場合でも環境変化をうまく利用できた人は富を手にし、失敗した人、何も特別な事をしなかった人は富を手にする機会を失う。あるいは蓄積してきた富を失う。そこに格差が生じる。「グローバリゼーションで格差が広がった!」という人は、「歩いたら前に進んだ」と言うのと同じくらいに全く意味の無いセリフを吐いている。「普通はそうだろうね。」としか言いようが無い。鎖国をしても格差は広がるし、規制を緩和しても、強めても変化である限り格差は広がる。逆に取引先、取引量、価格の全てが固定化され、あらゆる工夫が禁止された社会では格差が生じない。そして一切の変化を認めない社会は死んでいるのと同じである。

生じた格差をどう処理するかは、経済ではなく政治の問題である。私のようなリバタリアンなら「政治は手を出すな。経済的平等に何の意味があるの?」という反応を返すし、共産主義者や平等好きな人なら「平等こそ目指すべき価値。政治権力で介入しよう。」と考えるだろう。それは個人の嗜好の差にすぎない。しかしはっきりさせておくべきなのは、「歪みが格差を生んだから政治で元に戻す」と思っているなら、それは現実の認識間違いであり、実際は「格差は自然の帰結であり、格差を権力で是正することが歪みである」という事だ。(日本の電力会社やNHKのように市場競争を法的に免れているケースは除く。これは市場経済ではない。)むろん、歪めた状態を好むのは個人の自由であり、そこには何の問題もない(実際、人間の社会は自然環境に常に介入し続けている)。

・GDPが大きくなると社会は豊かになる。
GDPが社会の豊かさを表す。GDPを増やせば社会が豊かになると思っている人はかなりいる。これも間違いである。GDPはその社会で行われている経済活動の規模を表すが、それと社会の豊かさとは食い違いがある。社会の豊かさは富のストック量で決まるのであって、GDPのようなフロー(流通量)で決まるわけではない。

単純化した例で分かりやすくしてみよう。富や財産が何もない村(GDP、財産が共に0円)を考えてみる。1年目、まず村人たちは家を造るとしよう。家を建てるのに10円かかり、家の価値も10円とする。今年のGDPは10円、財産も10円分である。次の年、同じようにまた一軒の家を建てるとGDPは去年と同じ10円だが、手持ちの家は2軒になったので富の量は20円分である。GDPは0%成長なのに生活は豊かになっている事が分かる。3年目、家が気に入らないので壊すことにした。壊すのに必要な経済活動量を5円/軒とし、2軒とも取り壊したので10円かかった。3年目のGDPはやはり10円で0%成長。しかし財産は0円に戻り、社会は貧困になっている。
非常に単純化したモデルだが、GDP(フロー)と豊かさ(ストック、財産)が同じものではない事ははっきりと分かるはずだ。GDPを増やそうという目標は間違っている。正しいのは財産、ストックを増やす事である。


・投票率は高ければ高いほどいい。
これは今回の中では最も知られていない常識だと思うが、投票率はとにかく高い方がいいというのは政治学では間違いである。高すぎる投票率、低すぎる投票率はどちらも問題視される。どちらかと言うと高すぎる投票率の方が、より問題視される。

低い投票率が意味するところは国民の政治的無関心である。民主国家としては望ましい事ではないが、見方を変えると国民が油断していられる程度に平和な社会である。(投票する代わりに敵対勢力をテロで排除するようになっているなどという事態は別として)
高すぎる投票率が意味するところは国民が政治に非常な関心を持っているという事だ。なぜそれが好ましくないかというと、政治に非常な関心が寄せられる事態とは、国家的危機のような非常事態である事が一般的だからである。戦争がすぐそこに迫っているとか、革命前夜であるとか、恐慌でパニックが起きているという時、投票率は非常に高くなる。(オーストラリアのように投票を義務付けている場合は別として)また、政治に一度も関心を持った事が無い人間がパニックを起こした状態で投票に行ってもロクな結果は期待できない。(ナチスの例を挙げるまでもないだろう)
数値的には定説があるわけではないが、各国の数値を見る限り中央選挙で50%程度あれば、十分に適正値だと言ってよさそうである。国民が政治に無関心なわけでもなく、特別な危機意識が蔓延しているわけでもないという数値だ。

個人的には民主制なんだから投票権くらい行使しろよ、と思うが実際に90%とかになったら、「ちょww、おまいら落ち着けww」と言うべきなんだろうな。


テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

tag : リバタリアン 高い投票率 低い投票率 リバタリアニズム

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