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習王朝の成立(弱そう)

総選挙ネタの前に中国で特筆すべき動きがあったので先にそちらを。
周永康が党を除籍され逮捕、訴追された。だらだらと続いてきた周永康事件もこれでほぼ決着である。
しかし、要点はそこではない。この決着は、毛沢東王朝、鄧小平王朝に次ぐ、共産党第三王朝、習王朝の成立を意味しているのである。

毛沢東王朝は毛という圧倒的なカリスマを持つ皇帝が頂点に立ち、政治的ヒステリーに全てが支配された全体主義体制であった。毛王朝は強力な後継者の不在、事実上の経済破綻により毛沢東を失った直後に崩壊した。

そして、第二王朝を打ち立てたのが毛とは対照的に実利を重視する鄧小平であった。彼は党内の政治的矛盾を解消し、経済発展、改革開放というまったく新しい方向を指し示した。彼がソ連のゴルバチョフと異なったのは、政治的自由を認めなかったことだ。全体主義体制は崩壊したが、それが民主主義体制の確立に向かったわけでもなければ、国家体制の崩壊につながったわけでもない。政治の変革要求を経済発展で代替し、社会の目を経済に集中させる。過去の台湾や韓国で見られた「開発独裁体制」の確立である。

毛王朝の全体主義体制への反動、中国人の原理的な実利・現実主義とのマッチングから、開発独裁体制は非常によく機能した。1980年代からはじまり、天安門事件後の数年間を除いて2010年ごろまでの30年間というもの、中国人の生活水準は劇的に向上した。しかし、権力の乱用、特権の行使を背景として広がる格差、腐敗の際限ない拡大、拝金主義があらゆる思想、道徳、伝統、宗教を食い荒らしたことで目先の利権追及それ自体を人生の目的とする、何の魂も持たない、「意思を持つ個としての人間」、「社会を構成する市民」とはとても呼べない中国人が量産されるに至った。

空っぽの心は金銭と他者への見栄で一時しのぎの満足感をむさぼり、法輪功のような「できの悪い」宗教に簡単に釣られてしまったが、共産党はそれすらも許すことはなく、天安門事件を契機に始まっていた、できの悪い宗教よりも更にできの悪い「ジャンクフードのようなナショナリズム」を社会に蔓延させた。荒れに荒れた中国の社会は転んだ老人に手を差し伸べる善意の個人を「カモ」として食い物にし、車にはねられた子供を後続車があえて避けもせずに上を乗り越えていくほどの「ルール・オブ・ジャングル」に支配された。これがつい先日までの第二王朝のなれの果てである。

では、なぜその王朝が終わるといえるのか。以前にも言及したが、鄧小平は新体制を構築する中でいくつかのタブーを設定した。中央常任委員会のメンバー(元メンバー含む)は、アンタッチャブルであるというのもそれである。党内の政治闘争にリソースを浪費しないための掟であるが、周永康の打倒。それも党籍の剥奪はこのタブーを正面から踏みにじっている。「党籍の剥奪」には特別な重みがある。単に罰するペナルティを課すということではなく、「敵として認定」する意味を持っているのである。例えば今後周永康は基本的人権を簡単に踏みにじられ、党の審査官や下っ端の牢番に意味もなく蹴り飛ばされたり拷問にかけられることもあるかもしれない。党籍の剥奪は単なる刑事訴追以上の意味を持つのである。

そのハードルを越えた習近平は、もはや鄧小平以来のレジームを踏襲する気がないと考えてよく、新たなレジームの構築、習近平王朝の成立を目指しているといってよいのである。ここで大きな二つの疑問が持ち上がる。

1.旧体制の重鎮たちはなぜ新体制を容認したのか
 端的にいって江沢民派閥、上海閥のことである。過去記事でも指摘してきたが「習近平がやっていることも妙だが、上海閥のカウンターがないことの方がもっとおかし」かったのだ。起きるべきことが起きていなかったのである。その疑問は周永康事件の決着によって、ひとつの結論を出せるかと思う。それは、「上海閥」はすでになくなっているということである。恐らく習近平の総書記人事のやり取りのあたりから進んでいたのであろうし、曽慶紅の動きが強く影響しているのだろうが、はっきりといつからということもなく、上海閥は自然に分解していたのである。

言い方を変えれば、習近平が強かったから過去のレジームを倒したというより、過去のレジームはすでに機能不全に陥り、惰性で動いていたに過ぎなかったといえるだろう。

2.新体制の性質はどのようなものか
 反腐敗を掲げて旧体制の重鎮たちを始末してきた習近平だが、その先に何を見ているだろうか。反腐敗それ自体を目的とする清教徒的なナイーブさに取りつかれているということはあり得ないから、他の点に注目しなくてはならない。管理人が注目してきたのは、習体制が言論の自由やインターネットを第二王朝よりも毛嫌いしており、対外関係において視野が狭いという点である。Googleへのアクセス制限、各種SNSへの排他的政策、ウイグルに代表される少数民族の言論抑圧、外交面における対話能力の欠如。これらは習体制が前レジームよりも閉鎖的な性質を持つ明白な傍証である。

 習政権の政策は「○○をするな」「××を禁止せよ」という指示に偏っており、「▲▲を目指せ」とか「□□を達成せよ」という新たな目標設定が非常に少ない。前体制のやり方を否定はしても、新しい形を構想することができているわけではないのである。このことは変に難しく考える必要はなく、シンプルな原因を指摘するだけで十分である。習近平政権の「脳筋」ぶりを以前の記事で指摘したが、それは現代中国指導層の一般的な性質である。つまり、今までの中国の体制の中で生き抜いてきた習近平も、やはり魂を持たない人間だからである。文革で下放され、地方役人を並レベルの成績で勤め上げ、親の人脈で抜擢され、最終的に党総書記にまで選出された習には、そもそも新しい構想などないのである。

その一方で様々な禁止政策ばかりを打ち出し、香港のデモに対しては他国の陰謀程度にしか認識しない習の視野の狭さは特筆すべきである。彼はネットで伝わる新しい情報や価値観、利権がもたらす腐敗などを「安定を乱す雑音」と認識しており、新しい局面の登場、新たな時代への適応が必要とは認識していないであろう。習の願望は「黙っていろ、余計なことはするな、面倒を起こすな」という保守的で硬直したものであり、新構想をもって社会を安定、復活させるのではなく、単に社会を窒息させるような政策を取ることになる。

 中国の社会にとってはさして明るいニュースではないが、体制を確立しつつある習近平政権は今後安定志向に回帰する可能性が十分に期待できることから、周辺諸国にとっては悪くない方向性であるように思う。権力を確立した習政権が安定志向(平和主義というよりは面倒事を嫌がるという程度の意味だが)であるかどうかをテストするため、今後、数か月の間、日本を含む周辺諸国は挑発的な政策を取るべきではないと考える。

    

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テーマ : 中国
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