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常識はしばしば間違っている。

各テーマで一回ずつ書くほどの内容でもないが言っておきたい事を取りとめもなく書いてみる。
世間では常識とされていること、あるいは常識だと思っている人がいる事例を考え直してみよう。

・経済的格差が広がるのはおかしい。
これは説明の前に論点をはっきりさせる必要がある。
「格差があること、広がる事に反対である」というのは信条の問題なのでここでは問わない。
ここで問題にするのは、「格差が広がる事は不自然で何かがおかしいからだ」という考え方についてだ。

格差は、ある特定の条件がある場合を除くすべての状況で自然に生じる現象である。その特定の条件とは「変化が一切起きない社会、環境」だ。逆に言えば、変化が起こる社会、環境では必ず格差は生じるという事だ。「好況」でも「不況」でも関係が無い。どちらも単なる「変化」である。変化はすべて危機であると同時にチャンスでもある。どちらの場合でも環境変化をうまく利用できた人は富を手にし、失敗した人、何も特別な事をしなかった人は富を手にする機会を失う。あるいは蓄積してきた富を失う。そこに格差が生じる。「グローバリゼーションで格差が広がった!」という人は、「歩いたら前に進んだ」と言うのと同じくらいに全く意味の無いセリフを吐いている。「普通はそうだろうね。」としか言いようが無い。鎖国をしても格差は広がるし、規制を緩和しても、強めても変化である限り格差は広がる。逆に取引先、取引量、価格の全てが固定化され、あらゆる工夫が禁止された社会では格差が生じない。そして一切の変化を認めない社会は死んでいるのと同じである。

生じた格差をどう処理するかは、経済ではなく政治の問題である。私のようなリバタリアンなら「政治は手を出すな。経済的平等に何の意味があるの?」という反応を返すし、共産主義者や平等好きな人なら「平等こそ目指すべき価値。政治権力で介入しよう。」と考えるだろう。それは個人の嗜好の差にすぎない。しかしはっきりさせておくべきなのは、「歪みが格差を生んだから政治で元に戻す」と思っているなら、それは現実の認識間違いであり、実際は「格差は自然の帰結であり、格差を権力で是正することが歪みである」という事だ。(日本の電力会社やNHKのように市場競争を法的に免れているケースは除く。これは市場経済ではない。)むろん、歪めた状態を好むのは個人の自由であり、そこには何の問題もない(実際、人間の社会は自然環境に常に介入し続けている)。

・GDPが大きくなると社会は豊かになる。
GDPが社会の豊かさを表す。GDPを増やせば社会が豊かになると思っている人はかなりいる。これも間違いである。GDPはその社会で行われている経済活動の規模を表すが、それと社会の豊かさとは食い違いがある。社会の豊かさは富のストック量で決まるのであって、GDPのようなフロー(流通量)で決まるわけではない。

単純化した例で分かりやすくしてみよう。富や財産が何もない村(GDP、財産が共に0円)を考えてみる。1年目、まず村人たちは家を造るとしよう。家を建てるのに10円かかり、家の価値も10円とする。今年のGDPは10円、財産も10円分である。次の年、同じようにまた一軒の家を建てるとGDPは去年と同じ10円だが、手持ちの家は2軒になったので富の量は20円分である。GDPは0%成長なのに生活は豊かになっている事が分かる。3年目、家が気に入らないので壊すことにした。壊すのに必要な経済活動量を5円/軒とし、2軒とも取り壊したので10円かかった。3年目のGDPはやはり10円で0%成長。しかし財産は0円に戻り、社会は貧困になっている。
非常に単純化したモデルだが、GDP(フロー)と豊かさ(ストック、財産)が同じものではない事ははっきりと分かるはずだ。GDPを増やそうという目標は間違っている。正しいのは財産、ストックを増やす事である。


・投票率は高ければ高いほどいい。
これは今回の中では最も知られていない常識だと思うが、投票率はとにかく高い方がいいというのは政治学では間違いである。高すぎる投票率、低すぎる投票率はどちらも問題視される。どちらかと言うと高すぎる投票率の方が、より問題視される。

低い投票率が意味するところは国民の政治的無関心である。民主国家としては望ましい事ではないが、見方を変えると国民が油断していられる程度に平和な社会である。(投票する代わりに敵対勢力をテロで排除するようになっているなどという事態は別として)
高すぎる投票率が意味するところは国民が政治に非常な関心を持っているという事だ。なぜそれが好ましくないかというと、政治に非常な関心が寄せられる事態とは、国家的危機のような非常事態である事が一般的だからである。戦争がすぐそこに迫っているとか、革命前夜であるとか、恐慌でパニックが起きているという時、投票率は非常に高くなる。(オーストラリアのように投票を義務付けている場合は別として)また、政治に一度も関心を持った事が無い人間がパニックを起こした状態で投票に行ってもロクな結果は期待できない。(ナチスの例を挙げるまでもないだろう)
数値的には定説があるわけではないが、各国の数値を見る限り中央選挙で50%程度あれば、十分に適正値だと言ってよさそうである。国民が政治に無関心なわけでもなく、特別な危機意識が蔓延しているわけでもないという数値だ。

個人的には民主制なんだから投票権くらい行使しろよ、と思うが実際に90%とかになったら、「ちょww、おまいら落ち着けww」と言うべきなんだろうな。


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テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

tag : リバタリアン 高い投票率 低い投票率 リバタリアニズム

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No title

GDP≒豊かさはまさに中国が身をもって証明してくれてますね
高い投票率=危機的状況なのはその通りだと思うのですが、危機的状況なのに投票率が低いという衆愚政治状態は本当にタチが悪いです・・・
そもそも自分たちが主権者であるという自覚すらないのかなあ、やっぱり

No title

作っては壊す。建てては建て替える。そんなGDPに何の意味があるんでしょうね。指導部は失業対策でやらせてるんだと思いますけど。更にそれに過剰反応してGDP3位にショックを受ける日本人もいますから。

投票率は選挙のたびに話題に上がるので取り上げました。
ちなみに前回の政権交代時の衆院選の投票率は69.28%だそうです。
たぶん、この数値は高すぎるんだと思います。メディアに踊らされて張り切っちゃった人は民主に入れてるんだろうしね。メディアが煽らない状態で50-60%が日本では適正値かなと思ってます。

No title

あとGDPの「成長率」の数値だけを見てる人もたまにいますよね
100万円の10%と1億円の2%は全然違うと思うのですが

今回の大阪市長選挙の投票率は60.92%ですか
さんざんメディアが騒いだことを考えると、やっぱりまだ少ない気がしますねえ
しかも「40年ぶりに6割を超す記録的な高投票率」だとかで・・・
40年ぶりってw

そういば今回のW選ってそちらのメディアでは露出されてるのでしょーか?
半島方面ではえらく注目されてるみたいですが

No title

そうですね。GDPはいつも数値だけが一人歩きしがちなので、メディアも少しは説明付ければいいのにね。前期比と前年同期比の区別も付かない人やら、四半期の数値を年率換算して過剰に騒いでみたりとかいうケースもありますね。

地方選挙で60%なら十分だと思いますよ。
大阪の選挙は、今後の日本政治を見る上でも決定的な出来事だと言えるでしょうが、普段関心が無い人にとっては、「橋下」氏個人の人気がどうとかいう程度にしか理解していないでしょうし。

中国では全く注目されてません。まだ国政に打って出たわけではないですしね。橋下氏に面識がある中国人(上海万博の時ね)ですら、「何か選挙で勝ったらしいね」程度の反応でしたよ。

No title

>中国では全く注目されてません。
やっぱしそうですか。半島で注目されてるのは同胞wの行く末にかかわる出来事ですもんね
ありがとうございました
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